2020年8月19日水曜日

#東芝_ざっくり解説 名門企業はいかにして没落したか


#東芝_ざっくり解説 名門企業はいかにして没落したか?


芝浦電気
 田中久重(1799-1881) 久留米のべっ甲職任の長男、からくり人形や万年時計などを作ていた。54歳のとき佐賀藩の鍋島閑叟(直正)に呼ばれて大砲・電信機・蒸気船の製造にかかわる。1875年東京に田中製造所を創業。電信機や海軍兵器の製造を請け負っていたが海軍工廠などができると業績不振になる
 2代目 田中大吉はメインバンクの三井銀行に経営の全権をゆだねて社名を芝浦製作所に改める。以後三井から代々経営者が送り込まれ、発電機や工場や鉱山で扱う機械類を製造する重電メーカーになった。

東京電気
 藤岡市助 (1857-1918) 岩国藩士藤岡喜介と妻ウメの長男として生まれた。 工部大学校卒業、工部大学教授、帝国大学工科助教授就任後辞任し東京電燈設立。1890年白熱舎設立、社名を東京白熱電燈球製造→東京電気と変える。
 電灯・真空管ラジオ・蓄音機などを製造する家電メーカーになる。

 1939年芝浦電気と東京電気が合併。東京芝浦電気となる。

1984年 東京芝浦電気から東芝へ社名変更

1986 東芝をノートPC市場で世界1位のシェアに(ダイナブック)

 東芝機械ココム違反事件
 1987年東芝子会社の東芝機械が伊藤忠商事とダミー会社の和光貿易を通じて1982から1984年までソビエト連邦技術機械輸入公団に工作機械およびそのソフトウェアを輸出した事件。東芝機械社員2人が外為法違反容疑で逮捕された。
 通産省の担当官は東芝機械の接待を受けココム回避の指南をしていた。
 1987 年 東芝佐波会長渡里社長が辞任した。




1987 1992
青井舒一 社長就任(重電)

1992 1996
佐藤文夫



1992年 NAND型フラッシュメモリ技術を市場拡大のためサムスン電子に供与

1995
MMCD陣営(ソニー主導)とSD陣営(東芝ほか)が統合DVDに。1996年商用化(ビデオ戦争1975年)西室は「ミスターDVD」の異名をとる。



1996年 西室泰三が社長に
西室は海外営業畑の人間。真空管の営業などをやっていた。

社内カンパニー制
選択と集中をスローガンにM&Aや他社との提携を図るアライアンスを用いて経営資源の効率化を根差した。1999年社内分社化によるカンパニー制導入。本社の考査機能が弱まり、業務実態のブラックボックス化が始まった。各カンパニーの考査は本社の経営監査部という部署がになったが、ここには各カンパニーの出野事業部長に昇進する予定のものがキャリアパスとして配属されるローテンション人事だった。身内が身内を考査しているので不正会計が摘発されることはなかった。

 

芝浦製作所を日本電産に売却
ATM部門を沖電気に売却(担当は岡村正)

米国でデスクトップPC投入でPC部門が赤字に(PC事業部長 西田厚聰)

1997年 総会屋利益供与事件

エアコン部門を米キヤリアとの合弁に

1999年 東芝クレーマー事件

 FDC集団訴訟事件
 東芝の製造するPCに搭載されたフロッピーディスクコントローラの瑕疵があり、そのPCでマルチタスクを行いながらFDに書き込みを行うとデータが破損する可能性があるとしてウェイン・レオ弁護士を代理人に起こされた裁判。東芝はNECのコードをコピーして製造していた。NECは先んじて回収と修理を受け付ける広告をうちNECエレクトロニクスは被告から外された。
 東芝は和解に応じ、和解費用は1100憶円に及んだ。


2000年 岡村正 社長就任(西室は会長に)
岡村はラグビー選手として東芝入社、配属は計測事業部。

2001年 ITバブル崩壊

西室が経団連副会長に(0105年)会長はトヨタの奥田

2002年 DRAM事業を米マイクロン・テクノロジーに売却。四日市にNAND型フラッシュメモリーの工場。

DRAMについて」
マネーゲームと化したDRAM産業。DRAMに関してIPという感覚がなく、技術が確立した時点で産業の主体が製造装置メーカー側に移っていた。付加価値の塊である高額の製造装置を大量・迅速に調達し工場に設置する。資本力と経営判断の速さがものをいう資本集約産業になっていた。

PCのコモディティ化」
HPが格安PCのコンパック買収、値下げ競争を仕掛け、これにDELLが続いた。東芝は多品種ラインナップが開発の遅れや部品の調達に混乱をきたしコストを下げづらくなり、また在庫も増えた。2003年から赤字に。東芝は青梅工場の生産を減らしODM依存度を30%にまで高める方針に。

「東芝のPC部門と西田」
1971年産業育成のために高関税だったコンピュータが輸入自由化。IBM製品が市場シェアを席巻し多くの国内メーカは大型コンピュータから撤退を決めた。この時東芝の開発部門にいた溝口哲也が森健一と漢字ワープロ「JW-10」共同開発。これが大ヒットする。
溝口が続いて考えたのがパーソナルコンピュータ市場への参入。85年ラップトップPCT1100」投入するも苦戦。海外ではIBM国内ではNECPC98シリーズの人気が高かった。その時、欧州でPCをさばいていたのが東芝ヨーロッパ副社長の西田厚聰。溝口は2001PC部門から外される。

西田は二浪して早稲田政経入学(1964年)東大大学院政治学研究科の福田観一のもとで西洋政治思想史を学ぶ。研究テーマはフィヒテとフッサール。1973年イランの照明工場で現地採用される。1975年本社採用。95PC事業部長。97年取締役に。

2003年 岡村の後継社長が西田になる予定だったがその西田のいたPC部門が赤字になる。

2004年 PC事業でバイセル取引を導入

PC部門の資材調達部長田中久雄は神戸商科大卒1973年東芝入社。青梅工場で資材調達を学び、1996年東芝情報機器フィリピンの上級幹部に2000年イギリスに異動、不振だったプリマス工場を再生。その後PCの調達部長になる。

「東芝のバイセル取引」
東芝のバイセル取引とはODM業者(ODMとは相手先ブランド製品設計・生産業者)を使った不正会計。
東芝は台湾のODMメーカー、インベンテック、コンパル・エレクトリック、クァンタといったメーカーに生産受託をしていた。その時田中久雄はODMメーカーがそれぞれPC部品を調達すりょりも東芝が主要部品を一括して購入しODMメーカーにまとめて供与する仕組みにした。

ODMメーカーは様々なブランドでの委託製造を行っているため、東芝の部品調達価格がODMメーカー経由で他ブランド会社に漏れないよう本来の調達価格に一定の金額を上乗せして部品を供与した。この時の書かうを「マスキング価格」という。マスキング自体は違法でも何でもない。

東芝はこのマスキング価格を異様に高く設定したり卸す部品を必要以上に多くしたりした(押し込み)。東芝は決算の期末に押し込みで利益をかさ上げし、決算をまたいだのちに完成品を引き取った。

2004年度81憶円の黒字(西田マジック)



IBMがノートPC部門を中国レノボに6億ドルで売却

2005年 西田厚聰 社長就任









WH
WHはアメリカの重工業コングロマリット。かつてエジソンのGEと直流送電か交流送電での規格争いをした「電流戦争」。WH1980年代から恒常的に経営不振にあえいでおり事業を切り売りしながら経営していた。1999年原発事業を英核燃料会社(BNFL)に12憶ドルで売却、BNFLWHのブランドを使い続けた。

東芝は沸騰水型原子炉(BWR)を製造しておりWHは加圧水炉型原子炉(PWR)を製造していた。世界的にPWRのシェアが高かった。

東芝は2005年夏ごろ2300憶円をBNFLに提示したが「安すぎるのでオークションをやり直す」
日経新聞「WH、三菱重工が買収提案か」
2005年秋、東芝は2700億円でBNFLに買収提案。

東芝執行役員の庭野「3000憶円を超えるとペイしない」
3回目の入札
日立GE連合52億ドル
三菱重工49億ドル
東芝54億ドル(1ドル115円)6210憶円(ショーグループ・20IHI3%出資)

みずほの佐藤康博が資金調達した。





2006年 WH買収

東芝セラミックス370億円でユニゾンキャピタル・カーライルグループに売却
東芝EMI210億円で英EMIに売却



2007
岡村が日商会頭に


2008年 リーマンショック

東芝不動産を野村不動産に売却800億円

サンディスクから半導体四日市工場設備を買収

HDDVD撤退(1100憶円特別減損)

映像部門でキャリーオーバー粉飾会計開始

WHがボーグル原発とVCサマー原発を受注。原子炉・タービンをWH、土木建設をショー・グループ傘下S&Wが工事(のちにCB&Iショー・グループを買収)、アメリカでの新規原発建設は30年ぶり。



2009年 佐々木則夫

佐々木則夫は1972年早稲田大卒東芝入社。原発の設計部門で配管のエンジニアとして過ごした。2003年原子力事業部長。2005年執行常務。2007年執行専務

佐々木はPC部門でのバイセル取引を知ったが続行を指示

西田が経団連副会長に


20097月 民主党政権に

ソフトバンクからiPhone3発売


2010
家電エコポイント制度終了(20092010

ソフトバンクからiPhone4発売

バイセル残高が不良在庫化

2011年 東日本大震災

ランディスギア買収、経産省の産業革新機構と共同で (1310億円)

CELLCPU撤退 長崎半導体工場をソニーに売却

アナログ放送終了




2012年 WHがのれん代の減損760憶円

第二次安倍内閣発足

バイセル取引が拡大。西田と佐々木の対立が先鋭化

CB&Iが米エンジニアリング会社ショー・グループ買収

WHがのれん760億円減損


2013年 田中久雄 社長就任(西田会長・佐々木副会長・田中社長のトロイカ体制)

バイセル取引解消を目指す「プロジェクト・ルビコン」発動

WHがのれんの減損400憶円

経済財政諮問会議の財界代表に佐々木則夫が選出。推薦は甘利明

一橋大学教授 伊丹敬之(経営学)が社外取締役に

WHの監査法人アーンスト&ヤングが「WHののれんの減損懸念あり」報告

東芝の連結決算ではWHの減損を取り消す。減損判定が違うためと説明。

WHがのれん400憶円減損
東芝はWHの減損を東芝の連結決算に組み込まなかった{監査は新日本監査法人(オリンパスが粉飾決算をやった時監査をやってたのも新日本監査法人)}。東芝は監査対策にデトロイトトーマツグループという経営コンサルを雇った。
東証の適時開示ルールでは子会社の損害見込み額が連結純資産の3%以上あった場合には情報開示する必要がある。

米テキサス州のLNG事業フリーポート社と液化加工契約。220万トン権益取得

2014年 

西田→相談役 室町→会長 佐々木→副会長(留任)

西田のゴーサインを受けてPC部門がプロジェクト・ルビコンに加入

証券取引等監視委員会に東芝から内部告発


2015

20153月 新日本監査法人のHPにあるお問い合わせコーナーに東芝の重電部門が不正会計せているとの書き込みがなされる。

20154月 重電部門で工事進捗率を操作知る粉飾会計が発覚。

20155月 第三者委員会設置


東芝はインフラ工事の会計処理に問題があたと発表。特別調査委員会を設置(委員長は室町正志、社外からは森・浜田法律事務所の北田幹直弁護士とデトロイトトーマツファイナンシャルアドバイザリーの築島繁公認会計士)



特別委員のフォレンジック調査(社内のサーバやPC内にあるデータやメールを調査する方法)によってさまざまな部門で「チャレンジ」が行われていることが発覚。東芝社員が報道機関にリークし疑惑事件に



20157月 不正会計疑惑、歴代社長(西田、佐々木、田中)ら3人が引責辞任

 室町正志 社長就任

 東証が東芝株を特設注意市場銘柄に指定

201512月 WHCB&IからCB&IS&W(ストーン&ウェブスター)0円買収(当時)

2008WHがボーグル原発とVCサマー原発をサザン電力・スキャナ電力から受注。原子炉・タービンをWH、土木建設をショー・グループ傘下S&Wが工事(CB&Iショー・グループを買収)、アメリカでの新規原発建設は30年ぶり。
2011年の福島原発事故後安全対策コストが上昇、工事が遅れボーグル原発を発注したサザン電力が追加費用を払わないと主張。これに対し建設工事会社のS&Wは費用が払われないなら工事をしないと主張。電力会社と建設会社間で訴訟合戦じょうたいになる。WHは電力会社に納期の延長を認めてもらう代わりに追加費用をWHが負担する固定価格契約を更新。訴訟になっているしべ手のクレームをお互いが免責sることに合意。この時S&Wのハンドルを握るためにCB&IからS&W0円買収。S&Wは工事の遅延で多額の労務費負担があった。
東芝は適切な資産査定(デューデリジェンス)をせずCB&Iの提出したS&Wの財務諸表を分析しただけで買収した。

原発の建設工事費用の見積もりをフルアーに依頼。のちに建設工事もフルアーに依頼。

WHがサザン電力と固定価格オプション契約。サザン電力が建設コスト54.4憶ドル(6500憶円)とし、それ以上の追加コストはWHが払うとするもの。

2016年 東芝メディカルをキヤノンに売却6655億円。
まずMSホールディングスというペーパーカンパニーに東芝メディカルを譲渡、そのMSホールディングスの新株予約権をキヤノンに売る。
東芝は至急キャッシュが欲しかったので独占禁止法関連の審査を回避するスキームを取る。

WHで「不適切なプレッシャー」開始

東芝ライフスタイル(白物家電)を中国美的集団に売却合意(530億円)

20166月 網川智 社長就任

CB&IS&Wに巨額損失発生と発表。WHS&Wno運転資金が21憶ドル(2580億円)不足しているとしてCB&Iを提訴。
海外原発事業からの撤退を発表。



鴻海がシャープ買収

2017年 ランディスギアスイス証券取引所上場売却(2696億円うち東芝持ち分60%)

20172月米原発損失額7000憶円(東芝の資本金は3600憶円)。東芝・WH債務超過。
東芝メモリ売却を発表

WH米連邦破産11条の適用申請。東芝1.3兆円の損失計上、連結株主資本マイナス5529憶円、連結純資産マイナス2757憶円の債務超過。

(東証では2年連続債務超過で上場廃止)


東芝メモリ一次入札(KKR2兆、鴻海3兆、SKハイニックス2兆)。
WD合併は契約違反と声明。WD2兆円で買収提案。
東芝はWD傘下のサンディスクとの間に「両社の合意がないまま第三者に売却することを禁じる」という提携契約がある。
日米韓連合に優先交渉権(SKハイニックス、ベインキャピタル、アップル、産業革新機構、日本政策投資銀行)。



20143月期から監査法人を新日本監査法人からPWCあらた監査法人に変更。新日本「第三者委員会の報告により、当社が組織的な隠ぺい工作を行い、十分な監査ができない為」


201710月特別指定銘柄解除

東証1部から2部に市場変更

201711月 第三者割当増資、新株発行…2283105千株 調達資金使途(5739) 早期弁済金。希薄化54
・エフィッシモ ・サーベラス ・エリオット ・グリーンライトキャピタル ・オアシス ・サードポイント ・カイゼン 引受先トップがエフィッシモで、ついに保有11%超えの筆頭主要大株主

西室死亡

西田死亡



2018年 車谷暢昭 社長就任

2018年 ダイナブックをシャープ(鴻海)に売却40億円

WHBrookfield WEC Holdings1ドルで売却。

REGZAブランド使用権(40年)を中国ハイセンスグループに売却(130憶円)

東芝メモリーをPangeaに(日米韓コンソーシアム)に売却2.3兆円。東芝持ち分40%売却益1.08兆円。

サザエさん提供終了

2019年 東芝メモリーをキオクシアに社名変更

東芝LNG事業を17憶円支払って仏トタルに売却。売却関連費用930憶円。

東芝メモリーが台湾ライトン・テクノロジーのSSD部門買収(173億円)

サムスンがNANDフラッシュメモリーを大口取引価格を値下げ

2020年 東芝ITサービスが架空取引400憶超(日鉄ソリューション、ネットワン、富士電機ソリューション、みずほ東芝リースと)

東芝ロジティクスをSBSHDに売却230憶円


東芝ITサービスの不正行為をうけて東芝株15%をもつエフィッシモ・キャピタル・マネジメント(シンガポール)がガバナンス強化のため社外取締役3人の選任を求めて株主提案。
株主提案は否決。

20208月 シャープがダイナブックを完全子会社化。





なぜ東芝は没落したのか?

現社長・会長が次期社長を選ぶことで上司に対して甲斐甲斐しい人物が社長になってしまう。経営の能力がある人ではなくて、出世に対して能力の高い人が社長になってしまう。

社内カンパニー制と能力の低い経営監査部によって各カンパニーが本社の管理の利かない無責任体質になる。(西室)

不正会計を黙認するカンパニー間の相互不干渉主義。(コングロマリット・ディスカウント)

バイセルを見抜けない新日本監査法人

WH巨額買収、オークションにおける勝者の呪いと福島第一原発事故に伴う原発ビジネスの将来性の変化。

WHへの監視不足

東芝主体の債券計画がなく実質銀行管理に、原発のケツを拭くために半導体を手放す。


解決策

会長・相談役等の廃止。

東芝本体が各カンパニーの監視能力を高める。

監査法人の能力不足

ビジネス環境の変化に柔軟に対応すること。

ビジョンを持つ。